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福岡家庭裁判所久留米支部 昭和55年(少)760号 決定 1980年7月15日

少年 M・D(昭三八・一・二七生)

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

(非行事実)

少年は、昭和五四年秋ころから久留米市内の暴力団○○会○○一家○○組内○△組の事務所に出入りするようになり、そのころから(途中一時脱退していた期間はあるものの)、正当な理由もなく親もとを離れて同事務所に寝泊まりし、同組の組員となつて、文身をしたり、銀バッチを貰つたりして、同組員ら犯罪性のある者と交際している者であるが、昭和五五年六月九日午前六時五五分ころ福岡市○○区○○×丁目×番レストラン「○○」駐車場において同組員Aら数人が共同してEに対し暴行を加えた際には、無免許でありながら普通乗用自動車を運転して、Eの運転する自動車と接触する事故を起こして、上記共同暴行事件の発端を作り、更に、上記事故については自己に一方的に過失のあることを十分了知しながら、AらがEに暴行を加えるのを座視して、何ら制止しようとしないという挙に出たものであつて、その性格、環境に照らして将来罪を犯す虞がある。(少年法三条一項三号ロ、ハ該当)

(非行事実の認定についての補足説明)

本件につき、検察官からの送致事実は、

被疑者M・D、同BはA、C、Dと共謀のうえ、昭和五五年六月九日午前六時五五分ころ、福岡市○○区○○×丁目×番レストラン「○○」敷地内の駐車場において、M・Dが運転する乗用車と被害者Eが運転する乗用車とが接触したことから右両名が口論となり、これを目撃した被疑者等は右Eを取りかこんだうえ、激高したAにおいては右Eの脇腹を三回位足蹴りし、特殊警棒様のものをぶりあげて追いかける等の暴行を加え、C、B、D、M・Dにおいては逃げるEを追いかけまわす等し、もつて数人共同して暴行を加えたものである。(司法警察員作成の昭和五五年六月一〇日付少年事件送致書記載の犯罪事実)

というのである。(なお、本件記録中の司法警察員作成の昭和五五年六月一七日付「被疑事実変更に関する報告書」と題する書面の謄本によれば、司法警察員においては、少年を検察官に送致した後の捜査の結果、犯罪事実を、上記送致書記載の犯罪事実中「これを目撃した被疑者らは逃げるEを追いかけまわす等し」とある部分を「これを目撃したA、D、BはM・Dと右Eを取り囲んだうえ、激高したAにおいては右Eの脇腹を二、三回足蹴りし、特殊警棒を振りあげて追いかける等の暴行を加え、Cにおいては逃げて行くEを捕まえてEの脇腹を二、三回足蹴りする暴行を加え、D、B、M・Dにおいては逃げるEを追いかけまわすなどし」と変更して認定し、上記報告書は検察官に送付されたことが認められるところ、関係証拠によれば、上記共同暴行事件の事実関係は―少年の行動を除いては―上記報告書記載のとおりであると認められる。検察官において敢て事件送致書記載の犯罪事実を「審判に付すべき事由」として送致してきた理由は不明である。)

ところで、少年は本件捜査、調査、審判の過程を通じてほぼ一貫して上記送致にかかる犯罪事実を否認するところ、本件関係証拠中、Aの供述調書謄本中には、少年が上記送致にかかる犯罪事実記載のような暴行行為(「追いかける」という行為)に出た旨の供述記載があるが、この供述はにわかに措信し難く(他の関係者中にはそのような供述をしている者はおらず―当初そのように供述していた被害者Eもその後の供述調書ではその点が不明確となつている―、Aの供述自体も、他の者の行動については相当具体的詳細に供述しているのに、少年の行動については具体性に欠ける不明確な供述に終始している)、また、被害者Eの供述調書謄本中には、少年も他の者たちと一緒になつてEをとりかこんだ旨の供述記載があるが、この供述も―「とりかこむ」という行為が暴行にあたるか否かは別として―たやすく措信し難く(他の関係証拠によれば、少年はEの面前に佇立していたことが認められ、Eの上記供述も、少年のこの態度を他の者らの行動と合わせて「とりかこんだ」と表現しているものと認められるが、元来、少年は接触事故の当事者としてEと対話していたのであるから、Eの面前に佇立していたとしてもそのこと自体格別奇異な行動ではなく、その前後の少年の行動も考え併わせると、これを「とりかこんだ」とするのは、いささか表現が誇張にすぎると考えられる)、他に少年が何らかの実行行為に出たことを窺わせる証拠はない。そして、少年が、Eに対する共同暴行につき実行行為者らと明示もしくは黙示に意思を相通じたことを窺わせる証拠もない(少年の供述調書中には「自らもEに暴行を加えようと思つた」旨の供述記載がごく一部に存するけれども、この供述は、少年の供述調書中の他の記載―例えば、事故の発生については自分に責任があることはわかつていたのでAらの暴行を見て自分は立ちすくんでいた、など―、その前後の少年の行動などに照らして、ただちには措信できない。この点、少年が実行行為者らと同一の暴力的組識に属する者であることを根拠として共謀の成立を認めることは早計に失すると言わざるを得ないであろう)から、結局、少年の前記否認の弁解はこれを排斥できず、本件送致にかかる犯罪事実はその証明が十分でない。

しかしながら、少年については、本件調査、審判の過程において、判示認定のとおりの虞犯事実の存することが明らかとなり、この事実は送致にかかる犯罪事実と事実関係において相当程度重なり合う(要保護性の点において完全に重なり合うことは少年保護事件の性質上当然である)のみならず、本件調査、審判に際して、少年及び保護者には認定にかかる非行事実を告げ、これに対し十分に陳述、主張、弁解の機会を与え、その防禦に遺漏なきを期しているのであるから、このような場合、あらためて判示認定の非行事実について立件手続をとるまでもなく、本件の手続においても、審判をして保護処分をすることができると解するのが相当である。

(処遇の理由)

少年は、既に小学生のころから万引などの非行を犯すようになり、その非行の傾向は中学入学後更に激化し、窃盗、無免許運転、家出などの非行を反覆累行し、一旦は養護施設に入園したもののそこでも素行おさまらず、無断退園、非行を繰り返し、更には、不良交友を断つため群馬県内の親類宅に預けられたが、ここでも直ちに同地の素行不良者と接触して非行を重ね、同地の中学校卒業後、久留米市内の親もとに帰宅してもなお窃盗等の非行を犯し、結局、昭和五三年七月三一日当庁において窃盗保護事件により福岡保護観察所の保護観察に付する旨の保護処分を受けたものであるが、その処分後も依然素行はおさまらず、漸く就いた仕事も長続きせず、遂に判示のとおり暴力団に加入するに至つたものである。少年は、当初は単にリース会社に住込就職したつもりであつたと認められるが、同会社がその実態は暴力団であることがはつきりしてからも、同所から立ち退かず、かえつて、上部団体の組本部の当番を務めるなど同組員らとの交際を深め、上腕、胸部等に文身までするようになり、昭和五五年四月ころ一時同組からの脱退を決意して帰宅したものの、組長らの説得にあうや、たやすく翻意して再び組事務所に舞い戻り、組員として活動していたものであつて、その非行歴、生活歴などからみて、少年の非行文化との結びつきは相当強いと考えざるを得ず、少年をこのまま放置するにおいては、少年はいよいよ非行性を強め、更に罪を犯す虞があり、健全な社会生活を送らない可能性は相当に高いと言わなければならない。

以上のような少年の非行文化との親和性、非行歴、生活歴のほか、調査、審判の結果明らかとなつた少年の性格、交友関係、環境、保護観察状況、保護者の監護能力、少年と家庭との融和の程度などを考え併わせると、少年については―現在、暴力団からの脱退を決意し、保護者もその監護を強める旨決意していることは窺えるが―、もはや在宅処遇をもつてしてはその生活態度の根本的な改善は望み難く、この際、中等少年院に送致して、規律ある集団生活訓練のもと、従前の生活態度に対する猛省を促し、非行性を除去し、社会性を高める措置を講ずる必要があると認められる。

よつて、少年法三条一項三号、二四条一項三号、少年審判規則三七条一項、少年院法二条三項により主文のとおり決定する。

(裁判官 川合昌幸)

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